春の桜
遠い昔、好きな季節は秋でした。
それも、秋から冬に変わる頃の晩秋。
なんかだらけた夏の暑さがキリっとした冷たい空気に変わる瞬間。
好きな季節は?と聞かれると「晩秋」と答えていた10代の頃。
大学を卒業して一人暮らしを始めました。
私にとっての20代は
ファッションや旅行、グルメに恋愛!花の独身を謳歌!
というような20代ではなく
追い続ける夢に何度も破れかけ、
苦悩と悩み続けた20代でした。
その頃にとても印象に残っている季節があります。
幡ヶ谷で一人暮らしをし、部屋から駅へ向かう交差点に
大きな桜の木がありました。
ぽつんと交差点の角にあるその木は
毎年素晴らしい花を咲かせていました。
いつも桜の花など見上げる余裕もなく過ごしていた私は
数年何も感じることなく桜の木を素通りしていました。
一人暮らしの寂しさと、
かなわぬ夢の間で打ちひしがれていたある年の春の初め。
交差点の大きな桜の木は見事な桜を咲かせ、堂々と空に向かっていました。
ピンクの花びらで埋まった歩道に立ちすくみ
しみじみと春を感じながら桜の木を見上げていたことを
今でもよく覚えています。
ああ、なんてすがすがしい空気と優しい花なんだろう
春って、こんなに心地よい季節だったんだ!
さっきまでの暗い穴の中にいるような気分から
一気に抜け出せた自分がいました。
その頃から、好きな季節は「春」!
それからン十年。
好きな季節も何も考える暇もなく走り続けてきた今
なんだかとても、春を待ち遠しく感じています。
3月に入って急に暖かくコートのいらない毎日
春が近づいている気配にとてもうれしくなります。
どんな名所の桜を見に行っても
20代のあの日の交差点の1本の桜の木以上の
優しさを感じることはありません。
ン十年ぶりに訪れた幡ヶ谷の交差点には
あの桜の木はもうなく、ビルになっていました。
春が近づくたびに
あの桜の木を見上げる女性の姿が
一枚の写真のように脳裏に浮かんできます。